16.1月更新  古典に学ぶ
其の見ざる所を見んと欲せば、人の窺(うかが)わざる所を視よ。其の得ざる所を得んと欲せば、人の為さざる所を修めよ。
                          ◆ 『烈子』仲尼編
自分でまだみたことのないものを見たいと思ったら、他人が見向きもしないものを探して注目する事だ。未体験の分野に挑戦してみようと思ったら、他人が気にも止めないことを選んでやるようにせよ。


〜 解 説 〜
気持ちが緩慢になってくると、誰でも隣の芝生が気になりだすものだ。どうもあっちの仕事のようが分がよさそうだ、向こうの仕事がおもしろそうだ、と目移りがしてくる。こうしたときこそ注意が必要だ。
自分の仕事が伸び悩んだり、市場の動向が思わしくなくなると、いろいろ方便を探し出す。遠目であっても、実際に目に映るものになびくのは人情にちがいない。
ただ、こうしたときに目に映るのは痘痕(あばた)も笑窪(えくぼ)、内実がどうなっているのか知れたものではないのだ。
「人生における大きな喜びは、君にできないと世間がいうことをやることである」とは、絶頂期英国の知性を代表するひとり、『エコノミスト』誌で論陣を張ったウォルター・バジョットの金言である。
自分の五感をフルに働かせて、信念の赴くところを見つけることだ。意に添わないものは片隅から捨てていく。そして最後に手許に残ったものが、自分にとってかけがえのないものなのだ。人間生きていくうえで、ほんとうに必要なものは、それほど多くないはずだ。
もどる