16.2月更新
古典に学ぶ
 我を非として当たる者は吾が師なり。
 我を是として当たる者は吾が友なり。

              ◆『荀子』脩身篇
◆ 大  要
自分に対して、悪いものは悪いと叱正してくれるひとは師であり、自分の存在を認め長くつき合ってくれるのが友人である。
◆ 解  説
荀子の「脩身論」の根本を示した言葉である。
この言葉のまえに、善・不善を識別するのはあくまでも自分の主観であり、完璧に善を善として、不善を不善として識別できるかどうかはわからない。
そこで主題の言葉が述べられるのである。
自分としてはよく注意していても、不善のことを善としてうけいれているかもしれない。この場合、往々にして自分の好ましい都合に恣意的に合わせているものだ。
この間違いをずばり指摘し、叱ってでも正してくれるひとがいないと、ますます悪い方向に自分を導き、ついに矯正されないままに打ち捨てられてしまうかもしれない。ここに、こころの師の必要が説かれ、この師をこころから受け入れる心構えの大切さを教えてくれる。
時には友が師になることもあるだろう。このとき、友といえども師への礼をこころのうちで持たねばならないことを暗に説いている。これが俗にいう「けじめ」であり、けじめをしっかりつけないでルーズにまかせておくと、やがて友から離反されることになる。
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