天知る。地知る。我知る。子知る。
 何をか知る者無しと謂わんや。

      
 ◆『資治通鑑(しじつがん』漢紀
古典に
   学ぶ
大 要
天も知っている。地も知っている。わたしも知っている。君も知っている。それなのに、どうして知っているいる者がいないと言えるだろうか。
解 説
ひとの目が届かないことをいいことに不正行為を働いても、必ず悪事は露見することを教える有名な言葉である。
 後漢の文人政治家楊震(ようしん)が五十歳を過ぎた頃、東莱郡の太守に任ぜられた。楊震が任地へ赴く途中、昌邑の町を通りかかると、この町の町長である王密が楊震に挨拶にきた。時は夜半を過ぎ、月の光も隠れていた。
 王密は懐から十斤の黄金の入った包みを取り出し、「今宵は闇夜、さいわい月の光もありません。誰にも気づかれる心配はありませんから、どうぞこれをお受け取りください」と金子を差し出した。
 そのとき、清廉な楊震が賄賂をはねつけて言った言葉がこれである。
 『後漢書』の「楊震伝」にも同じ言葉が見えるが、「地」が「神」に替わり、「天知る。神知る。我知る。子知る。」となっている。いずれにせよ、ここで注目したいのは「我知る」の一言である。他人はひとまずおいても、このわたしが許さないという決然たる態度が、処世を正す根本となると知るべきである。