薬が切れると病人は間もなく死んでしまう。これと同じように、誤りをずばり指摘してくれるひとが周囲にいなくなると、わたしもすぐに滅んでしまう。 |
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孔子のことばに、
「忠言は耳に逆えども行いに利あり」とあるが、
「まごころのこもった諫言はとかく耳ざわりのよくないものだが、こころを広くして素直にこの言葉を受け入れれば、必ずよい結果が得られる。」という孔子の言葉と同根のものである。
現在の自分をよく知るためには、自分の身辺に集まっているひとたちを、よく見定めることが最もよい方法かもしれない。自分で自分の欠点短所、そして行いの誤りを摘出し治療できるひとがいたら、それは聖人以外の何物でもない。自分のことを自分で見て理解することほど、人間にとってむずかしいことはないはずである。ここによき忠言のひとや、薬石を投じてくれるひとが無くてはならない理由がある。
ではどうしたら、このようなひとを身辺に引き寄せることができるだろうか。ギリシャの哲人皇帝マルクス・アウレリウスがたいへんよいヒントを与えてくれる。
「行動においては杜撰(ずさん)になるな。会話においては混乱するな。思想においては迷うな。魂においてはすべて自己に集中してしまうこともなく、さりとて外に飛散してしまうこともないようにせよ。人生においては余裕を失うな。」 |
と。こころに沁みる至言である。
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