古典に学ぶ  平成17年10月更新


大要
物事を知ること、それ自体がむずかしいのではない。 

むずかしいのは、物事を知ったあとで、どのように対処したらよいか、ということである。



解説
韓非は、この言葉の前に二つの事例を示している。
事例1
  鄭の武公が胡を討伐したときのことだ。
  武公はまず自分の娘を胡王に嫁がせ、おもむろに臣下に「吾れ兵を用いんと欲す。誰か伐つべき者ぞ」
(私は戦いがしたいのだが、何処を相手にすればよいか。)とたずねた。
  そこで、大夫の関其思が、鄭にとって当面の敵である胡国を伐つべきだと進言した。武公は、すかさず、「胡は兄弟国なり。子之を伐てと言うは何ぞや」
(胡国は自分の娘を嫁がせた兄弟国である。これを伐てとは何事か)と激怒して関其思を殺してしまった。
  この様子を知って、胡ではすっかり安心して鄭への防備を解いてしまった。
チャ ンス到来、武公は、怒濤のように胡を攻め、大勝利を収めた。
 


 まことに苛烈な話だが、主題の言葉の意味をじっくりと考えてもらいたい。
事例2
 宋の国のある資産家の話である。
ある日ことだ。大雨で土塀が崩れてしまった。
「築かずば、必ず将に盗あらんとす」
 (金持ちの息子が、塀を直さないと泥棒に入られるよ。)と、父親に言った。同じことを隣の主人も忠告した。案の定、その夜泥棒が入り、金品をごっそりやられてしまった。
 金持ちは、盗賊を予言するとは、なんと賢い息子だろうと感心する一方で、土塀が崩れているのを知っていた隣の主人を犯人ではないかと大いに疑ったという。




 まさに、「知の難きに非らざるなり、知を処すること則ち難きなり。」ではないか。