15.8月更新
観光風靡で静かな歴史とロマンのある長崎で幼児誘拐殺人事件があり、東京渋谷では甘い言葉に騙された小学生監禁事件等々小・中学生の痛ましい、残虐な事件が巻き起こっています。我々の子供時代では想像もつかない辛い悲しい事件ばかりです。日本はいつの日からこのような低俗な国になったのでしょう。

子供に我慢力
を植え付けよう    
                ・・・藤原正彦教授

(日本再生は子供におもねらないことから始まる)

この十年間政治家も官僚も口を開けば改革を叫んでいました。しかし、現在の日本人は真の改革能力を失っています。改革に必要な能力とは何か。それは「大局観」であり「長期的視野」でありこれが欠けているのです。大局観の基礎となるものは、論理や情報ではない。『他人の不幸への感受性』『卑怯を憎む心』『国を愛する心』『美しいものに感動する心』『ものの哀れ』といった『情緒』『教養』です。そして、この教養は古今の書物に親しみ、幅広い読書を積み重ねることによってしか身につかないものです。ところが、日本の活字文化はテレビやインターネットにおされ気味です。『活字文化の復興なくして日本の復興はない。』日本の活字文化が振るわず、日本人がを読まなくなった遠因を考えると、我慢力
がなくなったことが挙げられます。我慢力
とは、を読んだり算数の計算をしたりするときに必要な、我慢して一つのことを続ける力のことです。この力がないと、読書力や計算力も身につきません。すべての学力の前提になるものが我慢力
です。

我慢力
は学校と家庭の両方から養成しなければなりません。まず、家庭教育から述べましょう。
 第一に「テレビは一日一時間国民運動」を提唱します。
 現在,子供達のテレビ視聴は、だいたい平日二時間、日曜四時間です。これを一日一時間以上見せない、という運動です。テレビは寝転がってスナック菓子を食べながらでも見られる受動的なメディアです。しかし読書の場合、読む側は一字一字活字を追う努力が必要です。我慢して読んでいるうちに、やがて面白さに目覚め、初めて読後の感動や充実感が得られるのです。そのためにはテレビを我慢させても、強制的に子供をに向かわせなければなりません我慢力
を育てないと、読書離ればかりか、理数離れの原因にもなります。なぜなら、理数系の学問には、一般の読書よりもさらに強い我慢力が必要だからです。理数離れは国民の科学技術力の低下と経済の退潮を招き、読書離れはさらに幅広く国民の知力崩壊と国家の衰退を招きます。我慢力
喪失に対する早急な対策が必要です。
 第二に「子供にどんどん手伝いをさせる」ということです。

食事の後片付け、雨戸の開け閉め、おつかい、ゴミ出し、そういった用事をどんどん言いつけることです。

 第三に「親が子供に親の価値観を押しつける」ことです。
「嘘をついてはいけない」「弱いものをいじめてはいかん」「公共の場にゴミを散らかすのは恥ずべき事だ」など、人間が尊重するべき価値観はどんどん子供に押しつける。成長するにつれて、親の価値観に共感し、あるいは反発して自分自身の価値観を模索することもあるでしょうが、いずれにせよ最初の段階では親が価値観を押しつけないと、子供は身動きがとれないのです。
 第四に「携帯電話不携帯運動」を進めたい。

高校生以下には携帯電話を持たせない。今の子供たちは携帯メールや携帯電話で無駄な時間を取られすぎです。その時間を読書やクラブ活動に向かわせる。何もしないで孤独の時間を持つことも、思考や情緒を深めるために大切です。我慢力にもつながります。

基本的人権としての平等を履き違え、子供におもねるばかりで、我慢力養成の教育を怠ってきたことが、日本の衰退の遠因です。家庭と学校教育によって我慢力
をみにつけた未来の若者達が、活字文化を復興させ、日本を復興させる担い手となって欲しいものです。

文藝春秋8月号より

私達が感ずるところ、確かに家庭教育に問題があるようです。テレビを見ながら食事を取る家庭の多いこと、「勉強しろ!」と言いながらは寝そべってテレビを見ている、大体、読書離れの現実がある。子供の時からモノを与え、我慢させることを怠ってきた..車の中からタバコの吸い殻を投げ捨てる..運動会等で人の迷惑も考えずビデオ撮影にはまってる達..掃除もしない..食事もつくらない..毎日パチンコに興じる..夜遅くまで子を遊ばせる..うちの子に文句を言うなという....親になっていないの再教育が必要ではないのでしょうか。

の再教育、ことに読書推進、講演会の出席、ボランティアへの参加等々がまず初めにから必要に思えてなりません。よ!しっかりせよ!」と、云いたい