15.11月 更新  所長の部屋
月日の経つのは早いもので、暦も一枚になりました。今年も後二ヶ月です。十ヶ月の経営成績は如何でしたか。残された二ヶ月を今年の締めくくりとして又、来年への布石として頑張っていきましょう。
 さて、今月は先月の続編
  
『貨殖の奥にある精神』津本 陽  をおくります。
『富』求める人情は不変
貨殖に成功するためには、節倹と勤労が正道であるが、富豪になるためには、かならず奇策をもって人をしのがねばならないと司馬遷は説く。
「墓の盗掘は悪事であるが、田叔(でんしゅく)はこれによって身をおこした。博打(ばくち)は悪業であるが、桓発(かんはつ)はこれによって富裕となった。そのほかとるにたらない職業によって成功した者はいくらでもいる。この人々は皆誠心誠意、貨殖に専念したため、成果を得た。 こうしてみれば、富を得るにはどんな職業でもよく、財貨も常に特定の持主があるわけではない。才能ある者に財貨が集まり、才能のない者は、蓄積した財貨もたちまち失ってしまう。」
貨殖の秘訣は、物価が騰貴の頂点に達すると、需給関係によってかならず下落し、下落の極点に達すると、やがて必ず騰貴する。だから高いときには糞土(ふんど)を捨てるように惜しみなく売り、廉価のときに珠玉を求めるように買い集め、物資と金銭を流れる水のように流通させることだという。二千年前と現代の利殖の事情は、たいしてかわっていないようである。     
 松下電器産業の創始者松下幸之助氏が、週間ポスト昭和55年1月4日号で、『伝統精神を生かした日本式民主主義とは』という提言をしている。その内容は23年後の現在、バブル崩壊の傷痕がいまだ癒えない日本にとって、さらに切実な問題として迫ってくる。
 「いまの日本には、国の教えというものがなくなっています。国民を引っ張ってゆく国是、国訓がないんですな。国家というのは、いってみれば大きな団体ですね。その大きな団体をひとりの指導者の力で引っ張っていこうとすると、どこかにムリが生じます。そこにしっかりとした国是、国訓というものがないと、国の運営はうまくゆかない。早い話が国家の目標ですな。これがないといけない。ところが、今日、国の教えというものがなくなってしまった。昔は国の教えがありましたわな。」
明治のはじめから戦前まで、富国強兵という国是があった。善し悪しは別にして、国を富ませ、強くなろうという考えで、全国民が団結していたと松下氏はいう。
今月はこれにて来月へと続きます。
如何でしたか。
三百年の歴史を持つ徳川幕府の終焉を迎える大政奉還の混乱期に、
勝麟太郎(後の勝海舟)
 「私に帰せず」(津本 陽)
                                  は次のように提言をしております。
「こののち天下の大勢は門望(声望)と名分に帰せず、かならず正に帰すであろう。私に帰せずして、公に帰するに決まっている。これはわずかの疑いもいれないことである。すみやかに天下の形勢が正に帰せざるのは、国政にたずさわる要人が無学であることと、鎖国の陋習(ろうしゅう)が正しいと信じ込んでいるからである。硬化した頭脳で旧来の陋法を守っていては、天下は治められない。これは真の国是を知らないからである。・・・・・政府は全国を鎮撫し、下民を撫育し、全国を富ませ、奸者を押さえ、賢者を登用し、国民にそのむかうところを知らしめ、海外に信を失わず、民を水火のなかに救うをもって、真の政府といえるだろう。支配者の威令がおこなわれないのは、政治に私があるからであろう。奸邪を責めることができないのは、おのれが正ではないからである。・・・・ここにおいていう。天下の大権はただひとつ、正に帰すのである。こののち人民の識見が進歩すれば、公明正大な政治をおこなわなければならない。権謀によらず、誠実高明な政事をおこなうならば、たやすく天下を一新できるだろう。ねがわくば私心を去って、公平の政事を願うのみである。」
 さて、11月9日は衆院選挙です。これからの日本の行方をうらなう選挙です。しっかりマニフェスト(政権公約)を理解し正しい選挙をいたしましょう。