H17.9 所長の部屋 
 早いもので中秋の9月を迎えました。皆さんお変わりなく頑張っていることと思います。
 2005年8月戦後60年の節目の時に、政界の日本丸は舵や羅針盤までを失い、今や混沌とさまよい続けております。8月の郵政民営化の否決を受け、小泉首相率いる政府与党は衆議院の解散総選挙に打って出ました。テレビドラマのような、やくざ映画のような、怒号が飛び交い、“刺客” “落下傘” “ねじれ現象” “恨み辛み” “敵討ち” 等々やくざ用語が散乱しております。

 「郵政民営化VS公社維持」とか「自民党の小泉か民主の岡田か」とか、マスコミや政治評論家が稼ぎどき、千載一遇のチャンスと、ほくそ笑んでいます。なんと情けない国家になりました。国家の10年後、20年後、50年後のあり方、将来像を憂い唱えきれる人は誰もいません。ただただ、保身の政治家や官僚、それにしがみつく財界の一部、否、国民一人一人が自分さえよければの保身に成り下がったように感じます。
 日本という国そして国民は何故にここまで下卑たのでしょうか。これからの日本、民営化だけではありません、高齢化・年金・医療・少子化等の社会保障問題、イラク駐留・アジア・拉致・核拡散防止・常任理事国等の外交問題、温暖化・エイズ・アフリカの貧困・テロ等の世界社会問題、中小企業・雇用・地方格差・原油高等の経済問題さらには赤字国債・財投・道路公団・特殊法人の税金の垂れ流しを含む財政問題、あげればきりがない諸問題を抱えております。
 今回の44回衆議院選挙はこれらの事を踏まえて、9月11日は必ず投票致しましょう。国民一人一人が断を決するのです。周りの方々にも、おじいちゃん、おばあちゃんにも声を掛けましょう。21世紀を担う若者にも貴重な一票であることをお話ししましょう。棄権は国政だけでなく己れの存在に対する放棄です。このままでは日本丸は沈没してしまいます。
 さて、戦後60年を迎えた今、戦後生まれの私たちは昭和の時代を振り返る事も大事なことなのですね。NHKの“小野田寛郎は語る”は一兵士として一人間として生き抜いた半生を深く考えさせられたし、“博多港引き揚げ船はこうして行われた”は戦争の犠牲者は兵隊だけでなく、一番弱い子供・女子等の尊い又残酷な犠牲を伴うものであることを、戦争を知らない者たちに語り継がなければならないと感じました。私は1981年2月25日広島でのヨハネ・パウロ2世の『ローマ法王の平和アピール』の新聞の切れ端を大事に保管しています。
 今日はその一部を紹介しましょう。
『ローマ法王の平和アピール』
戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命を奪います。
戦争は死そのものです。
この地上のありとあらゆる所に、戦争のもたらした惨事と苦しみの故に、その名の知られている場所が数多く、あまりにも数多く存在しています。それは、人類の犯した悲しむべき行為だと言わなければなりません。戦勝記念碑それは一方の側の勝利の碑であると同時に、数多くの人々の苦しみと死を物語るものです。
過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです。この地上の生命を尊ぶ者は、政府や経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく、『平和の為に何が必要かが考慮してなされる』よう、要請しなくてはなりません。目標は、常に平和でなければなりません。平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠のく夢ではなく、現実のものとする道なのです。国境や社会階級を超えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。平和達成のために、自らを啓もうし、他人を啓発しようではありませんか。愛を持ち自己を与えることは、彼方の理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目ざめようではありませんか。憎しみには愛を持ってあたり、窮乏に悩む者には己れを与え、戦争には平和をもってこたえることが出来ますように。
                   
全文を載せることはできませんでしたが戦争と平和を考えされられる名文中の名文と思います。
“過去を振り返ることは将来に対する責任を担う”ことです。
戦争の加害国・被害国である日本国民の我々は戦争の悲惨さや平和の有り難さを語り継がなければなりません。
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