19年3月更新 所長の部屋

温暖化の影響でしょうか、今年の冬は積雪も少なく、なごり雪も忘れ雪もなくこの3月を迎えようとしています。皆さんお変わりありませんか。

 先日、五木寛之さんの講演会に行ってみました。作家、五木さんの講演にはこれで4回目になります。今回はこの講演の中からお話しましょう

 最初の講演は、もう20数年前のこと、私が税理士事務所を開業した頃の―――事務所をどのように育てていこうか、基本方針・雇用関係・顧客拡大・将来の展望等々を考え又、悩んでいる時期でありました。
今、思うとこの私が少々軽いうつ状態であったかもしれません。

・・・(今では笑い飛ばすほどの事でしたが)・・・ その時に出会ったのが講演の中の一つの言葉・・
暗愁・・“これだ!”と叫びましたね。

荒涼としたシベリア平原のはるか遠い水平線に夕陽が落ちるさまを眺め何とも言えない悲しみ、又、コップの水の中に青いインクをポトリと落としたような言いようのない憂いの気持ち・・そして、五木さんは『自分の中に暗愁が棲んでいることを自覚し、泣くべき時にきちんと泣けるみずみずしい感情を持っている人間が尊い』と。

 今回の講演では春愁―――春愁は決して深刻な悩みを指すものではなく、何となく、そこはかとない陰がまつわりついている状態、春のはなやかさを背景に憂い沈む様子、その様がなかなかの人生を描いているようです

“春愁や 老医に患者の 無き日あり”・・・播水
さらに、
“君看双眼色 不語似無憂” ・・・良寛

君看よ、双眼の色、語らざれば憂い無きに似たり

『さぁ、その眼の色を御覧なさい、何も言わなければ憂いが無いように見えるでしょう。語らないのではなく、語れない、それほどに深い憂い悲しみがあるのです。じっと堪えて、黙っていると眼が澄んでいくのですよ』

君看よ、双眼の色  語らざれば憂い無きに似たり

憂い・・・・がないのではありません

悲しみ・・・がないのでもありません

語らないだけなのです

語れないほど深い憂い・・・だからです

人にいくら説明したって まったくわかってもらえないから

語ることをやめて じっとこらえているのです

文字にも ことばにも 到底あらわせない

深い憂い――――を

重い悲しみ―――を

心の底深く ずっしり沈めて じっと黙っているから

眼が澄んでくるのです

澄んだ眼の底にある

深い憂いのわかる人間になろう

重い悲しみの見える眼を持とう

君看よ 双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり

五木さんの講演には“”・“”の言葉がよく出てくるように思えます。しかし、何回聴いても心落ち着く気持ちにさせてくれる私の人生の師のように思えてなりません。
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