19年 4月更新 所長の部屋

陽春の候、如何お過ごしでしょうか。先月3月は肌寒い日もあり、体調を崩された方もおられたのではないでしょうか。今ではソメイヨシノも満開の後の葉桜に変わりつつあります。

 さて、私事で恐縮ですが今年3月で60歳還暦を迎えました。若いつもりの私も歳を重ね、至るところに老いを感じ、遂には初めてインフルエンザA型を発症し、又、腰痛で歩行もままならなくなりました。嬉しいことと言えば事務所の職員から還暦を祝って頂き、その上、記念品や寄せ書きまで・・・有難い事でございます。老いを認める歳になったのですね。
 今月はこの還暦についてお話しましょう。 
 


還 暦  

私など年が明けますと、会う人から『いつ見ても若いね、変わらないね』と言ってもらうのですが、しかし、喜んでいるばかりではちょっと情けない。

“いつ見ても さてお若いと 口々に

ほめそやさるる 歳ぞ悔しき“

という狂歌がありますように、いつ見てもお若いということは即ち歳をとったということで、歳をとるということは決して悪いどころか、いいことですけども、さて、お若いですねと褒められると、やはり「あぁ、歳をとったのだなぁ」という感慨をもよおして気になるものでございます。

 さて、干支というものは―――いまさら申し上げるまでもありませんが―― 干は幹、支は枝、生命の発生から順次変遷して、その終末・含蓄に至るまでの過程を干は十段階、支は十二段階に解説して、これを組み合わせて六十の範疇にしたものであります。

・干(兄)・・・甲(きの)乙(きの}丙(ひの)丁(ひのと)  ・支(弟)・・・子(ね)丑(うし)寅(とら)卯(う)辰(たつ)・・・

だから六十番目に元に還ってくる。年に換算すれば六十年目に還る。いわゆる還暦であります。月に換算すれば六十ヶ月、即ち五年目、日に換算すれば六十日目に還ってくるわけです。       

 
 私どもの生活はとかくマンネリズムに陥りやすい、即ち因習に堕しやす
い。肉体的にも、精神的にも、機能が麻痺してくる。そこで師友信条集の中の『年頭五警』にもありますように、意気ばかりでなく、あらゆる点において常に新たにする、維新・一新することが必要であります。その意味から言って、日だと六十日目くらいに反省する事は確かによいことである。いわんや月だと六十ヶ月、五年も間があるのですから、自然その間に停滞・沈滞・頽廃が起こる。さらにいわんや六十年も経てば、いかに身心共に強健な人でも、相当の沈滞・疲労は免れない。大いに維新する必要があるのです。

『六十にして六十化す』という言葉がありますように、六十になっても、なおかつ六十になっただけの変化をするということは、なかなかできることではないものです。ぼつぼつ足もよたついてくる。頭も呆けてくる。したがって「六十にして六十化す」ということは、言い換えれば無限に進化してやまないということにほかならないのではありますまいか。

 よくえびをめでたいことに使います。これは俗説によると、えびの曲
がっておるところから、夫婦偕老で共に老いて、腰が曲がるまでめでたく暮らす、という意味から使うという。しかし腰が曲がったのではあまりめでたいとは言えない、という疑問をかねてから持っておりました。ところが生物学者の説を聞いて、初めてなるほどとわかったのです。つまりご承知のようにえびは殻を脱ぐわけですが、万物みな固まる秋になっても、えびだけは固まらないで殻を脱ぐというのです。えびが殻を脱がなくなったらその時死ぬのである。だから生ける限り殻を脱いで、常に新鮮である。それなら、なるほどめでたいということがわかる。要するに六十にして六十化するということは、えびの如く常に生命的であり、新鮮であり、進化してやまぬということであります。いずれにしても、人間は幾歳になっても「化して行く」ことが大事ということではないでしょうか。

                 (干支の活学・・安岡正篤・・・抜粋)

  
 私の干支は1947年(昭和22年)生まれで丁亥(ひのと・い)に当たります。干のの意味するものは去年の丙の在来の勢力に対抗する新しい動きを示し、新旧両勢力の衝突を意味しております。又、の文字は、「何事かを生もうとしておる」「いろいろのエネルギー(核)・問題をはらんでおる」ということを意味しております。起爆性を含んでおるわけです。まことに核時代に相応しい、暗示に富んだ支なのです。

今年は干と支と相俟って「何が発生するか分からない。しかもその発生はただの発生ではなくて、新旧両勢力の衝突といろんな問題をはらんでいる爆発的な発生である」ことを表しているようです。そう言えば、米国での共和党・民主党の力関係、国内では安倍総理と新旧勢力争い、おっと、忘れてならない北朝鮮の核・・・核は亥なのです。六カ国協議は注目のひとつです。今年はいい年ではないように思いますが、一人ひとりが常に生命的で新鮮で進化して、いい年にしていくしか・・・ないようですよ。

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