19年 5月更新 所長の部屋

長崎県内統一地方選を締めくくる長崎市長選は去る4月22日、一斉に投票が行われ即日開票された。現職候補の伊藤一長氏が射殺され、異例の展開にもなり全国の注目を集めた選挙であったが、僅少差で市民力を前面に出した田上氏が初当選を果たした。

被爆地として理に適った姿勢を貫いた長崎市長伊藤一長氏の功績は長崎市民が誇れる素晴らしいものであり、いかなる理由にせよ、自由と民主主義への重大な挑戦である今回の銃撃事件は許されるものではない。犯行に対して心底、憤りがこみ上げ、氏を失ったことの悲しみが溢れるのは長崎市民だけではないはずである。

 しかしながら今回の市長選挙で、弔い合戦として娘婿が氏の遺志 を引き継ぎ、残された僅かな選挙戦とはいえ敗北したことにおいて、『伊藤一長はその程度の存在だったのか。残念。浮かばれないと思う。』いう遺族のコメントには複雑な思いがしてならない。
 このことにおいてはいずれ期をおいてまとめたいと思いますが、それはともかくまずは、故伊藤一長さんの三期12年の功績を賞讃し、心から哀悼の意を表したいと思います。

さて、爽やかな5月になりましたが、季節とは裏腹な心寒い相次ぐ経済界の不祥事件にスポットをあててみましょう。   


経営者の社会的責任

市場経済の良いところは、競争で経済全体の効率が上がることだ。企業は自分の利益を最大にすることだけを目標に経営活動して何ら問題はない。結果として限られた資源が最も有効に配分され、最も良い経済が実現する。

ただし、いくつか条件がある。その一つは正確な情報が公平に行き渡ることだ。しかし、これはなかなか満たされない。

今回の損害保険や生命保険会社の保険金不払い問題はそれを如実に表している。生保に限らず、金融商品の中身はなかなか複雑だ。小さな活字で何十行も書いてある約款は読んでも正確には理解できない。その上例えば保険の場合、他社商品との違いがほとんどわからない。言い過ぎかもしれないが、消費者の無知につけこんで、まがいものを売っているのと大差ない。

こんな状態では、消費者のニーズにあった商品を効率的に提供できる企業に資金や人材などの資源が集まって経済が効率化する、という市場経済のよさは発揮されない。

訪問介護事業の大手三社が東京都の業務改善勧告を受けた事件も、形こそ違うが情報の格差(情報の非対称性)を供給者が不正に利用している点では同じである。

粉飾決算でも同様なことが言えるのだが情報が正しくなければ市場経済は有効に機能しない。不正な情報が横行するようでは、企業が極大利益を求めて競争することが社会にも利益をもたらす、ということにはならなくなる。

少子高齢社会で成長を維持するには、経済全体の効率(生産性)を引き上げることが不可欠である。そのためには競争が欠かせないのだが、その競争はアダム・スミスが指摘するように、正義の競争でなければならない。正しい情報を土台にした正義の競争を行うことこそが経営者に求められる社会的責任だ。

                   日経新聞(一直)より

最近異常に多い財界の不祥事。経営者が私利私欲に走り、公共性や正義が全く感じられなくなりました。経営者の資質の問題です。このことは大企業ばかりではありません。中小企業・零細企業・個人事業者にも経営者のレベルの低下が呆れるほど多い。こういう経営者の下で働く従業員はたまったものではありません。
 先日も収益改善を相談された社長に対し『この会社の建て直しは社長が辞めることが改善の一歩です。』と言わざるを得ないぐらいの状況にある。情けないものでした。まずは社長の体質を変えないと正義の競争は出来ないと感じますが如何でしょう。

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