所長の部屋                      19年8月更新

天変地異、6月前半はカラ梅雨、後半から7月中旬まで梅雨前線の停滞そして、台風さらには中越沖地震と自然災害に苦しんでいる日本列島、今年は予期せぬ異常事態が発生する年でしょうか。
 このたびの参院選の結果を見ても政治や経済にも異常事態が発生しているように思えてなりません。

 皆さんそれぞれが油断しないように、「災害は忘れた頃にやってくる」のたとえを打ち消し、
「日々是好日」であることを願いましょう。 






今月は私の愛読書“文藝春秋8月号”から
    永 六輔 氏の執筆から抜粋して載せてみましょう。




TVが王様 「恥ずかしい国・日本」

恥じらいなき日本人をつくった元凶はテレビだ!



●平日朝のワイドショーに、土日の政治討論番組に出たがる政治家が与党・野党の別なく顔を揃えている。そして、質問を投げかけていたコメンテーターやアナウンサーが、いつのまにか質問される側に座っている。

最近のテレビには、コメンテーターと称して偉そうにしている人間が多すぎる。

その能力の無い有名人を政党が公認して国会へ送り出している。

ニュース・ショーが裁判所のようになっている。何か問題が起きると、渦中の人物に対して「お前、何様のつもりで答えているんだ」と問い詰める。あるいは司会者がカメラに向かって「見ているんだったら、スタジオに来なさい」なんて言う。

「スタジオを裁判所にしないように、出演者をつるし上げるような状況は危険です。

昔の日本人は、人前でモノを食べることを恥ずかしいとしていました。ところが最近のテレビではグルメ番組が乱立して、これでもかこれでもかと食べるシーンを映し出す。「旨い」「凄い」の繰り返しだけで旅番組をつくる恥ずかしさ。食べるというのはカメラの前で排泄しているのと同じくらい恥ずかしいことです。

生理用ナプキンのコマーシャルもひっきりなしにテレビに流れています。あれを見てしまったときの恥ずかしさったら!「恥」という字は、心と耳からできています。心に聞こえているはずなのに、どうして人々は何も感じなくなってしまったのでしょう。

「できちゃった婚」が増えています。恥ずかしい名称です。「新郎新婦のご入場です」だと思っていたら、いつの間にか「新郎妊婦のご入場です」と笑えない一幕、できちゃった事実はもっと隠し通さないといけません。

日本はどうしてこんなにも露出狂的な国になってしまったのでしょう。本来、隠すべきものが露骨に表に出すぎている。

「現代社会に裏と表の差がなくなってしまった」表の顔と裏の素顔とのバランスで息抜きができていたのに全てが表の顔になりくたびれてしまっている。表の世界とバランスをとって付き合っていくのに必要なのが、恥の意識です。恥の意識がある人間は自分で裏の部分をつくることができる。

「美しい国、日本」、すごく上滑りな感じがして恥ずかしい。

昔の常識がいまの非常識になりつつあります。昔は、お通夜には普段着で行くものでした。お通夜の時点ではまだ人は死んでいない設定なので、喪服を着たり、お数珠を持ったり、お香典を持って行ったりしては失礼なのです。告別式ではじめて亡くなったことを確認し、仏様に別れを告げることになります。

最近の日本は、経済、医療、福祉、教育、あらゆるジャンルで混乱が起きています。その要因として、現代社会で裏と表の差がなくなってしまったことが大きい。日本人は恥じらいを忘れたあげく、裏を表に引きずり出して面白がりすぎたのです。

テレビの功罪を見直そう。今回の選挙についても、テレビに出たがる「有名な」政治家と、草の根の活動をする「無名な」政治家とをみきわめて「優しい国、日本」であってほしい。

最近のテレビは何か食べているか、お笑いタレントの仲間で悪ふざけをしているばかりの番組構成です。こんな番組を私は一切見ないようにしていますが、不思議なのはよくこのような番組のスポンサーになる有名企業がいるという事実、企業価値をあげようとするならこのような恥知らずの番組にクレームを出していいようなものなのに、本来の日本人は「恥じらうとか「はにかむ」「含羞」といった美徳を大切にする人々でしたのに・・・日本人総てが「恥」を失ったのでしょうか。



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