所長の部屋 平成20年11月更新

今年の事務所のカレンダーもわずか1枚になりました。“歳月人を待たず”とは言うものの月日の経つのは本当に早いものですね。

さて、今月は文芸春秋10月号から明るいほのぼのとした新連載を紹介しましょう。


名 著 講 義・・・藤原正彦
(
お茶の水女子大学教授)

 読み込まれた文庫本を手に、感想を交わす女子学生たち―――。
お茶の水女子大学の名物授業、藤原正彦教授の『読書ゼミ』毎週一冊、日本の名著を読んでレポートを提出し、討論を重ねて十年あまり続いてきた。

 聴講資格は
   「毎週文庫一冊を読む根性、毎週文庫を買う財力」

「読書こそ人間の基礎」と考える藤原教授が、専攻にかかわらず抽選で選ばれた一年生
20人と、時に激論、時に人生相談におよぶ白熱の授業である。

第一回の課題は新渡戸稲造の『武士道』です。

この読書後の女子大生の感想と討論風景を感じ取ってみてください。

切腹についても、高貴な行為だと論じていました。「武士が罪を償  い、過ちを謝す」ための方法が切腹だと書いていたように、もし謝罪 の気持ちをきちんと持っているなら、切腹はそれを伝える手段になり ませんか?

武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり、思慮、 知識、弁論など知的才能は重んぜられなかった」とありましたが、こ の本を書いた頃と現在とで、ここまで日本の教育方針が変わってしま ったことに驚きました。今はむしろ、教育といえば知識的なものばか りで、道徳はあまり重要視されていません。

日本人の精神を復活するためには、スパルタ教育が必要なのではと感 じました。

最近の子供は、失敗を恐れて最初から行動しなかったり、自分の無力 さや非力さを悟ると、それが自分の限界だと決めて断念することが多 いと思います。

新渡戸のいう武士道には、禅をはじめとする仏教や、神道、儒教など のエッセンスがはいっているというところに興味を持ちました。でも 、新渡戸は熱心なキリスト教徒だったんですよね。武士道とキリスト 教は両立するものでしょうか。

読んでいくうちに、武士道の教えがここまで失われてしまった日本社 会は、危険なのではないかと感じました。

日本独自の文化から、廉恥心という言葉が生まれたと思うのですが、 最近「破廉恥」という言葉を頻繁に聞くようになりました。コンビニ の前に座りこんだり、電車の中で物を食べたり、公共の場で見るに堪 えないようなマナーの人が増えていると感じます。

新渡戸の教養の深さに驚きました。「武士道」がどういうものなのか を、それに対応する欧米の事例や思想を、ギリシャやローマの故事か ら、シェイクスピアやニーチェ、ヘーゲルまで次々と引用して説明し ています。





 




  










講義を終えて

学生の読後の反応はとてもよい。彼等が読む前にもっていた違和感を考えると驚くほどと言ってよい。

「何もかも時代錯誤のたわけ言」というような感想文を提出した者もこの数十年に何人かいたが、ほとんどはこちらが拍子抜けするほど肯定的であった。

この理解のよさは、明治武士道が、今も日本人の心に残像として残っている証左といえる。

新渡戸は『武士道』の最後にこう述べた。

「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう・・・四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」

本書を読んだ学生達を見ていると、いまだこの香気を感じる力をもっているようである。
              ・・・・藤原正彦談
                    
文芸春秋10月号抜粋



如何でしたか。女子大一年生がこのような感じ方をしているということに私はまだまだ日本人の若者は捨てたものではないと、頼もしく感じました。

名著講義はこれからも続けられるそうです。これらの講義を受けられる女子大生が羨ましい。我々、大人たちも女子大生に負けないように日々勉強していかなければならないし、大人たちこそが武士道をもう一度感じとらなければならないと思いました。

一部抜粋でわかりにくかったと思いますが是非、『武士道』を読んでください。失われた何かを取り戻すことができるでしょう。


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